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25下初狩~29黒野田

[ 2025/06/29~ ]

■25下初狩宿(山梨県大月市)



[ 笹子川沿いの水田(2025 06 29)]


山間を流れる笹子川と並行する甲州街道ですが、狭い平地でも水田がありお米を作っている田園風景が見られました。 初夏の濃い緑の中に稲の絨毯がきれいに並んでいて、農業国日本の原風景に出会ったような感じです。 かと思えば、近くには山を切り崩して砕石を採取している工場もあります。 あとでネットを見ると1919(T8)年に日本で最初にできた砕石工場だそうで、ちょっとびっくり。



[ 御堂家住宅(2025 ):山本周五郎の生誕地 ]


下初狩宿では国道20号の路面より少し低いところに建つ家屋が多く見られます。 国道を一定の勾配にするため、路面より低くなってしまったのでしょうか。 江戸時代後期の1800年ごろに建てられ本陣だった御堂家住宅も、1階の軒が路面と同じくらいの高さになっています。 この建物は、NHK大河ドラマの『樅ノ木は残った』などの作家である山本周五郎の生誕地で、道路沿いに「山本周五郎生誕之地」と書かれた石碑があります。 1903年にこの地で生まれたものの1907年の大水害を機に豊島区に転居ました。 家の裏を流れる笹子川が溢れたのでしょう。



[ 国道20号(2025 06 29):大月方面 ]


下初狩宿から中初狩宿へは国道20号を歩きますが、緩い坂道でも気温が高い日中はさすがに暑さが応えます。



■26中初狩宿(山梨県大月市)



[ 中初狩宿本陣(2025 06 29)]


下初狩宿と中初狩宿も宿場の役割を月の半分ずつ分担していたので1kmほどしか離れてません。 なんとなく宿場かなと思させるような街並みが続き、「明治天皇小休所遺跡」の碑を見てこの建物が本陣跡かと気が付く次第です。
狭かった街道を広げたためか軒が国道にはみ出しているように見え、建物自体も煤けた感じがします。 建物の案内がないので、本陣として使われた建物なのか、のちに建替えられた建物なのかも分かりません。 旧・甲州街道を歩く人が少ないためか、大月市は街道歩きの人にやさしくありません。



[ 白野宿へ(2025 06 29)]


このへんでは地図を片手に歩いている集団に出くわしました。 笹子駅から初狩駅に向けてウォーキングをしているようです。 歩道が狭いのですれ違う時は大変でした。



■27白野宿(山梨県大月市)



[ 白野宿(2025 06 29)]


中初狩宿から白野宿へは中央道とJR中央線を見ながら進みます。 電車が通る音で目を向けると、日曜日のためかほとんどが特急あずさで、各駅停車が通るのは稀でした。 街道沿いの集落で電車を使うのは学生くらいなので、各駅停車の需要は少ないようです。
白野宿は国道20号から分かれた旧道沿いにあります。 中央自動車道の建設によって旧・甲州街道が消滅した区間があり、白野宿への道も国道20号を通らざるを得なくなったところがあります。
白野宿と甲府寄りの阿弥陀街道宿と黒野田宿は、三つの宿が交代で宿場を担っていました。 甲州街道には二つ以上の宿が交代して業務を担う合宿(あいしゅく)が多いようです。 山間は集落が小さいので交代しなければ大変なお役目だったのでしょう。



[ 白野宿(2025 06 29):火の見櫓 ]


昔からの建物が残っているのか否か分かりませんが、軒がならぶ建物をみると宿場だった面影が感じられます。 国道のバイパスがあるので通る車はなく静かな家並みが続き、ぽつんと立っているラーメン屋の幟がやたらと目立っていました。 現在では使うことがなくなった火の見櫓も目立ちます。 甲州街道沿いの集落は火の見櫓が残っているところが多いようです。
白野宿を出ると一旦国道20号に入りますが、すぐに国道から別れ少し高い位置の旧・甲州街道を進みます。 この付近は異臭が漂っているのが気になりました。 笹子川の対岸に工場らしき設備がありますが、調べてみると木質チップを使ったバイオマス発電所なので、異臭を発生する施設とは思えません。 何の匂いだったのでしょうか?



[ 白野宿(2025 06 29):神社の大屋根 ]


街道沿いにあるいくつかの神社では、本殿を保護するための大きな屋根が設けられているのを目にしました。 写真の稲村神社は失礼ながら有名ではないと思いますが、四本の柱に支えられた大屋根が本殿を覆い、雨や日差しから本殿を守っています。 大屋根を造る費用は小さくないと思いますが、氏子の皆さんの神社を大切にする思いのようです。



■28阿弥陀海道宿(山梨県大月市)



[ 笹子川橋(2025 06 29):車両通行止 ]


阿弥陀海道宿に入る直前で笹子川を渡りますが、1958(S33)年に架けられた橋は車両通行止めなので自動車は新しい橋を通ります。 新しいといっても1980(S55)年完成なので、わずか22年で架け替えられています。 旧橋は川と直交するように架けられているので道路はクランク状になり、自動車のスムーズな走行を阻害しているので新しい橋が早々に架けられたようです。
橋を渡ると正面に『笹一酒造』の蔵元直売所が構えています。 直売所のほかにカフェなども併設されているようですが、道路沿いに案内がなかったので入り損ねてしまいました。
近くには宿場名の由来である阿弥陀堂があったそうです。



[ 笹子餅(2025 06 29):真ん中は笹一酒造の看板 ]


国道20号の笹子駅への坂道を上り切ったところに、笹子餅の製造所とお店が国道を挟んであります。 お店に入ると製造所から店員さんが飛んで来てくれました。
笹子餅は峠を越える旅人に力餅として売られていましたが、鉄道が開通すると駅で販売され列車内で食べることができたそうです。 お土産にちょうどいい和菓子です。



[ 笹子餅(2025 06 29) ]


笹子駅の入口に高さ8mほどもある巨大な『笹子隧道記念碑』が立っています。 1902(M35)年に完成した中央線笹子トンネルの記念碑で、完成当時は東洋一と言われた4656mの長さがあるトンネルです。
この先甲府側に向けて、国道20号は新笹子トンネル2953m、中央自動車道は笹子トンネル(上り4784m・下り4717m)で笹子峠を通り抜けますが、旧・甲州街道は約500mの上り坂が待っています。



[ 笹子隧道記念碑(2025 06 29):笹子駅前にある ]



■29黒野田宿(山梨県大月市)



[ 黒野田宿本陣(2025 09 23)]


笹子駅近くの中央線ガードをくぐると黒野田宿ですが、道は広がり現代風の建物が多く、本陣だった建物が唯一宿場だった名残です。 この宿を過ぎると難所の笹子峠なので、旅籠の数も十数件あったそうですが、水害により大きく様変わりしています。
国道20号が大きく曲がり山を登り始めると、旧街道は国道から分かれ杉林の山道を進みます。 山道に入る手前に高さ2m程の電気柵があり、笹子峠へ向かうためには扉を開け進みます。 電気が流れている鋼製の柵なので、扉の開閉はビビッてしまいます。 有害獣を囲うのではなく人間の生活空間が柵で囲まれているので、動物園の檻の中で人間が生活しているようです。 有害獣の柵はありましたが、「熊注意」の看板は無かったので熊はあまり出没しないようです。



[ 電気柵(2025 09 23)]


笹子峠への道は、間伐され下枝をきれいに枝打ちされが杉林の中を通り、見通しが効くので一人でも安心して歩けます。 このあたりの森林は、明治44年の大水害からの復興に役立てるようにと、明治天皇から賜った恩賜林が県有林として管理されているので、下草もなくきれいな森林になっています。
上り坂の途中に、戦国時代に戦勝を願い矢を射立てたと言われる「矢立の杉」があります。 地面近くは大きな空洞がある巨木ですが葉が茂り、樹齢は1000年を超えるそうです。 近くには休憩用のテーブルと椅子が置かれたウッドテラスがあり、一休みするには絶好の場所です。 「矢立の杉」は杉良太郎の歌に出てくるそうですが、全く知りませんでした。



[ 矢立の杉(2025 09 23)]


杉林の道と県道を行ったり来たりして上っていくと、旧・笹子トンネルが見えてきます。 昭和13年から33年まで国道のトンネルでしたが、現在は車はほとんど通っておらず静かな道になっています。 東京側の坑門は洋風建築的な装飾が施されていますが、諏訪側はコンクリートむき出しでした。
笹子峠は旧・笹子トンネルの上にあり、ハイキングコースの分岐点にもなっています。 峠からの眺望は全くないので、ここも歩く人は皆無でした。



[ 旧・笹子トンネル(2025 09 23):東京側 ]